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もう一度会いたい作品「窓辺に立つカミーユ・モネ」

 もう何年くらい前でしょうか。東京六本木にある「森美術館」で観た「クリーグランド美術館展」数ある名作を一堂に見てとても興奮したことを覚えています。その中で絵の前から離れられない、離れたくない。そう思ったある一枚の作品と出会いました。

クロード・モネ。

もう説明が不要なほど有名な印象派を代表する画家です。一連の「睡蓮」作品。「光」をこれほどまでに色彩豊かに表現する画家を私は他に知りません。展覧会では数ある作品の中に「窓辺に立つカミーユ・モネ」という作品がありました。奥さんの絵を描いた作品です。何故だかこの絵を観た時に胸が締め付けられるほどこみ上げてくるものがありました。

画像は筆者が模写したものです。

モネの作品はたくさん見てきたのですが、その中に奥さんのカミーユをモデルにした作品が数点存在します。モネがサロン入選を目指していた時のもの、日本文化の影響を受けた時に描いたもの、印象派の旗手として活動しているときに描かれたもの、モネの人生の分岐点には必ず彼女をモデルにした作品がありました。それ以外にも息子と共に同じ絵の中におさまり、モネ家のポートレートのように描かれた作品もあります。

そして若くしてその生涯を閉じる瞬間をモネは描きました。私はこの絵を見る前からカミーユという女性との生活と別れがあったのだという事をすでに知っていました。

 ~まなざしの先にあるもの~ 

部屋の中にいる画家(モネ)。大きな窓辺に立つカミーユ。中で絵を描くモネに気づいたのかこちらをふと伺う様子。その表情はあまりにも省略されていて彼女が何を見つめているかは私たち側からはよくわかりません。私はそこにはモネが毎日絵を描く姿を目にしているカミーユの「普通の生活」があったのだと思います。そのまなざしはすっとモネに注がれる。「ポーズ」をとるというより二人の何気ない、いつもの空間をモネは絵にしたのだと思いました。そこには詳細な描きこみは必要なかったのでしょう。ちょっとした描きこみだけで終わりにしてしまうほどにこの作品はこれで完璧なのだと思います。

この頃のモネ一家はかなり貧しい生活を余儀なくされていたとあります。

だけど、この作品を含めこの時期の作品からはむしろ、光り輝く景色の中で愛する家族が穏やかに暮らす日々の様子を感じます。貧しくても幸せなモネ一家のごくありふれた日常だったのでしょう。

モネと二人の子供を残し、カミーユは若くして亡くなります。

夜明け前、薄暗い光が差し込む中でモネはカミーユの命が旅立つ時の様子を作品にしています。その色彩の中の彼女。光の中にたたずむ彼女の絵をとおしてその絵を思い出した時にたとえのないような悲しみとモネのカミーユに対する「愛」を感じました。涙がこぼれるのをこらえるのが大変でした。

終生、モネはこの作品を自分のそばに置いていたそうです。

~あまり多くを語らなくてもいい~

今回モネ作品の模写とおして一番魅力的だったのもやはり顔の表情でした。省略されているからこその難しさがありました。カミーユのその後のことがわかっているだけに描いていて切なくて描けなくなるほどでした。

画像は模写作品です。

モネは何の迷いもなく彼女の表情をその作品の中に描いています。今回の作品はほとんど目鼻立ちがなくごく簡単な処理ですませています。制作中の「日傘をさす女(部分)」

は逆光です。空気の色の中にあるカミーユの表情はやはり明瞭ではありません。

でも、モネはそこにこの表情が入るのが当たり前のような感覚で描いているように思えるのです。出会ってからずっと描いている表情。毎日見ていた表情。瞼の裏に焼き付いている表情。彼はカミーユとの日々を日記に書くような感じで作品にしていったのだと思います。そこには詳細を描きこむことは必要がなかったのでしょう。目をつぶっていても描けるほどに彼の記憶の中に彼女の表情があったのだと思います。

省略されることで、そこに鑑賞者の想像力が入る余地がうまれる。その余地の中に鑑賞者の感情が入り、それぞれの作品に対する思い入れが生まれる。私はそう感じます。私が絵を鑑賞するときもそこに重みをおいています。

作家の視線、思惑、感情の高ぶり。画集やテキスト以上のことを模写はおしえてくれます。

今回この記事を掲載する際にある程度の歴史的な下調べはしましたが、できるだけその絵を始めてみた時の感情を思い出しながらまとめてみました。

実作品情報 「窓辺に立つカミーユ・モネ」油彩・キャンバス 1873年 99×79.8㎝ クリーヴランド美術館蔵(アメリカ)

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